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増田隆生氏に聞く!日本テレビ スーパーボウル中継史
日本テレビは、1988年からNFL中継を開始。スーパーボウルに関して言えば、第23回から放送スタート。第29回から3年間は放送権を手放すが、第32回からスーパーボウル中継を再開した。その日本テレビのスーパーボウル中継と言えばこの人なくして語れない。7度の実況中継を含め、今年で23年連続23回目の取材で現地を訪れる増田隆生氏だ。同氏に、スーパーボウルに対する自身の思い出や中継時の裏話を聞いてみた。(2011年1月に取材)
増田氏が初めてスーパーボウルの実況を担当したのが、1990年1月28日にニューオリンズで開催された第24回大会。サンフランシスコ・49ers対デンバー・ブロンコスの一戦だ。そして、この試合を思い出に残る試合の一つに数える。
【増田】:「全部でスーパーボウルは7回実況しました。日テレのNFL放送開始当時、僕は入社7年目で、スポーツアナとしてはまだまだ駆け出しだったため、レギュラーシーズンを中心に担当していました。ですから23回大会は、先輩の吉田慎一郎アナのサブとして現地に行ったんです。その時、吉田さんから「来年はお前の番だからな」と言われていました。そして、1989年8月にNFL東芝アメリカンボウルを実況して、これならスーパーボウルやってもいいだろうといいということで24回から僕がメインになりました。」
元々アメリカンフットボールは「大好き」で他局のテレビ中継も観ていたが、それはあくまで「好き」というレベルであって一ファンの域を越えるものではなかった。ところが自身初の衛星生中継となった第24回スーパーボウルで実況を担当する頃には、時代にも恵まれた豊富な取材でレベルアップしていた。
【増田】:「ものすごく緊張すると覚悟していました。生中継は経験がありましたが、海外からは初めてでしたし。今よりも海外の意味合いが重たい時代ですから。頭の中で、色んなこと考えて様々なシミュレーションをしまくりました。緊張の度合いまで。そのせいか、ヘッドセット(マイク)を装着した瞬間も平静でしたね。ほとんど緊張はありませんでした。「アレ?」って感じで拍子抜けしました。緊張までが想定内だったんですね。シーズン中に何度も現地に取材に行けたし、対戦カードが49ers対ブロンコス。両方とも良く知っているチームだったのが大きかった。特に49ersは、毎週水曜日の深夜にレギュラーシーズンの放送をやっていた中で一番登場回数が多かったし、ラインメンの細かい動きまで覚えているくらいでした。またスーパーウイークは、記者会見という記者会見を取材して、インターネットがない時代でしたが、溢れんばかりの情報を持ち、ネタに困ることはありませんでした。だから、何の不安もなく純粋にゲームを楽しめました。実はスポーツアナ人生の中でも、こんなことは珍しいというか、後にも先にもこの時だけでした。」
第32回、エルウェイがスーパーボウル初制覇
増田さんは24回から27回まで実況を担当。日本テレビはその後放送権を手放したが、32回から再び中継を開始。その時も実況を務めたのは増田さんだった。32回はデンバー・ブロンコス対グリーンベイ・パッカーズ。増田さんが「最も実況する魅力を感じていた選手」というQBジョン・エルウェイが、4度目の挑戦でスーパーボウルを制した大会だった。この時の増田さんは自身も驚くほど絶好調だったそうだ。
【増田】:「29回から31回まで民放ではどこもスーパーボウルを中継していなかったのですが、“継続は力なり”というかNFLが好きだったので、自ら取材パスを申請して自腹で現地へ行って取材をしていたんですよ。放送現場を離れて外から眺めると、不思議なことに視界が広がったというか、色々なことが見えてきました。様々なアイデアが浮かんで、こんな場面を自分ならどう表現するだろうとか。もう一度、スーパーボウルを実況したいな、と思っていた時、1998年の第32回大会の放送権を日本テレビが獲得したのでこの大会には格別な思いがあります。スポーツ実況というのは、実際のスポーツと同じで、体調の良し悪しというか、その時のコンディションに左右されるんです。しかも、それは第一声を発するまで分からなかったりするから難しい。ものすごく調子がいいときは選手が自分の思い通りに、しゃべっている通りに動いてくれる。プレイを見て実況するのだからそんなことは絶対に有り得ないのですが、そういう感覚になるぐらいプレイと自分の言葉の間隔(時差)が短くなるんですよ。調子が悪いときは、(プレイを)見ちゃって言葉が出てこない。普通は、実戦を離れると勘を取り戻すのに多少時間がかかるのですが、この時はなぜか絶好調。32回大会は、第24回とは別の意味で楽しかったですね。」
アメリカンフットボールは全米No.1人気スポーツ。いわば、“アメリカの象徴”と言っても過言ではない。“格好良いアメリカ”を伝えるのに大切なのは、ルールよりむしろ雰囲気や空気と増田さんはいう。それを最も表現できたのが、2000年1月30日に行われた第34回スーパーボウル、セントルイス・ラムズ対テネシー・タイタンズの試合だそう。増田さんが実況した最後のスーパーボウルでもある。
【増田】:「当時は日テレにCS放送がなかった時代なので、地上波向けの実況でした。地上波で実況するということは、マニアだけにボールを投げていてはダメ。初心者の方にも分かりやすく伝えなければいけません。だけどそれにこだわりすぎると、ファンやマニアの方は納得しませんし、何よりNFLの格好良さが損なわれてしまいます。これは88年の放送開始当初からの自分の中の課題でした。そのバランスが一番うまくとれたかな、と手応えを感じたのがこの大会だったんです。個人的にアメリカンフットボール中継はスマートさを欠くと魅力が半減してしまうと思うんです。ルールは大切ですが「4回の攻撃で10ヤード」と繰り返していては、NFLの醍醐味は伝わりません。僕が心がけていたのは、不遜かもしれませんが、アメリカンフットボールという競技を初心者に押し付けるのではなく、逆に見て「おー」とか「すごいな」と思って追いかけてくれる実況を目指していました。でも2歩も、3歩も先を行くと着いてこないので、半歩先、つまり3ヤード先を行くリードブロッカーのイメージです。でもハッキリ言えば、そんな実況スタイルは社内で賛否両論、というか反対意見が大多数でした。「分かりづらい」、「英語が多すぎる」、「もっとルール説明をしたほうがいい」など。ただ、アメリカのテレビ局が作る映像で実況をするわけです。アメリカは誰もがルールを知っているものとしてディレクティングするので、その映像はルール説明には適していないんです。だから、画面と実況がシンクしないんです。なので、ルール説明が必要なところはしますが、「それってどういうこと?今のプレイは何?スクリーンって?プレイアクションって?もっと知りたい!詳しくなりたい!!」と視聴者が思ってくれるような、半歩先をいく実況を目指していたんです。」
第32回のQBエルウェイのスクランブル
今年の45回スーパーボウル取材が23年連続23回目で、取材回数がスーパーボウル開催回数の過半数を超えた増田さん。そんな増田さんに、スーパーボウル思い出のプレイを聞いてみた。すると、返ってきた答えは、第32回のQBジョン・エルウェイのプレイ。第1Qにエルウェイがスクランブルしたプレイだ。
プロフィール

- 増田隆生
- 1982年日本テレビ入社。1988年、日本テレビのNFL放送開始とともに担当となり、スーパーボウル7回実況は日本人最多。第45回大会で、スーパーボウル取材は23年連続23回目となり取材回数が開催回数の過半数に。現在は、CS放送「日テレG+」で編成とPRを担当。
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